1962年(昭和37年)、機械部品専門商社の室蘭出張所長として勤務していた佐々木勝男は、同じ会社の 先輩であった宮崎武澄氏が帯広で機械工具商社を立ち上げた後を追う様に 、室蘭 ・輪西町で個人商店「佐々木機工商会」を創業しました。
創業にあたり、宮崎氏からは 「自分の意志で、責任を負える形態で やりなさい』とアドバイスを受けました。
また、当時懇意にしていたメーカ ーの営業所長であった岩佐潔氏から強く薦められたことも、創業にあた り大きな後押しとなりました。
不況の真っ只中であった当時、輪西で今にも床が抜けそうな6畳一間を借ります。妹を札幌から呼び寄せて、電話番や経理事務・食事の仕度を全て任せました。自らは商社勤務時代に営業していた大手工場を回りましたが、縁もゆかりもない室蘭で創業した当初は、地盤も資金も社会的信用もゼロ・・・。
商社勤務時代は、勤務先の「看板(信用)」で仕事が出来ていたという事を、独立して痛感しました。
「これではいつまで経っても商売にならない」と感じた佐々木は、一銭商いに徹する事としました。
世の中はモータリゼーションが進み、室蘭にも自動車ディーラーや自動車整備工場が進出し始めていた為、毎日毎日これらへ御用聞き営業に駆けずり回り、ベアリング1個・針金1本の注文を受けると、市中で買い回って納入するという営業活動を続けました。
市中で買うということは、現金で仕入れるという事である一方、入金は掛であった事から、いつも手元の現金が不足するような有様でした。
しかし、佐々木に預けてくれた在庫品の支払いを猶予してくれた岩佐氏や、自社が持つ掛仕入口座を使わせてくれた山本茂策氏の支援に感謝しながら、着々と顧客を広げていくうち、『商品を売って、(金は残らずとも商いの基盤である)顧客が残る』ようになりました。
当時は自動車用ラッカー塗料の販売店が室蘭になかった事から、山本氏から自動車用ラッカー塗料の販売を勧められ、取扱を始めました。水彩画が趣味であった佐々木は、塗料の調色を自分でやったため、ディーラーや整備工場からも重宝がられ、利益が取れるようになりました。また、ディーラーに通って塗装の手伝いをしながら、塗装作業も習得しました。
室蘭からメカニカルシール取付札幌にかけての道央地区が「新産業都市」に指定され、また室蘭に「室蘭製鐵化学」が進出するなどし、室蘭地域が転換期を迎えていた1963年(昭和38年)、佐々木は、商社時代に取引のあった小林敏郎氏の紹介で、炭研工業の永井雅夫氏と出会いました。
永井氏の伝で北海道内の大手製造業の担当者の紹介を受けるとともに、炭研工業で取り扱っていたポンプ軸封装置(メカニカルシール)のサービスステーションとして活動をするため、法人化して『佐々木機工株式会社』を設立しました。メカニカルシールの取扱は非常に難しかったため、佐々木は日中の業務が終了した後、工事業者にくっ付いて、無報酬で手伝いをして取扱方法を習得しました。
同年、店舗を室蘭・輪西町から寿町へ移転し、工具屋から機工商としての活動を本格化させていきます。
佐々木は、永井氏ら有力メーカーの支援を得て、メカニカルシール・ロータリージョイント(日本ジョイント製)の代理店として、北海道内の製油所・製糖工場・製紙工場・化学工場などを精力的に訪問しました。
兄弟や前職で共に働いていた同僚が佐々木機工に入社し、会社の発展のために共に汗を流しました。
また、当時は全く知名度のなかった三菱製電動工具を取引先に提案営業し、徐々に三菱製を浸透させていきました。こうした取り組みが実り、メーカーと特約店契約を結ぶに至り、道南地区では「三菱といえば佐々木機工」という認知を得られるようになっていきました。
一方この当時、工場内ではファクトリーオートメーション(FA)が進んでおり、いわゆる第二世代ロボット(センシング機能によって、環境変化に適応できるロボット)の採用が流行りだしていました。各電機メーカーもこの潮流に合わせて、電動工具類の拡販からFA製品の開発販売に注力するようになってきました。佐々木は、FAに関する専門知識を備えた人材を採用して、大手工場への三菱FA製品の提案活動に努めました。大手工場からは、その専門知識と小回りの良さを評価されるようになりました。
こうして、1969年(昭和44年)には札幌に、翌年(昭和45年)には苫小牧に、さらに翌年(昭和46年)には岩手・釜石に、1975年(昭和50年)には東京・新宿に、相次いで事務所を出店しました。
このような地道な取り組みから、製鐵向け精密圧延ロール(三菱金属鉱業製)やメカトロニクス機器(三菱電機製)の販売にこぎつけ、現在に続く三菱グループとの絆が生れます。
自らが顧客ニーズを汲み取り、ニーズに合う製品を探して顧客に提案し、顧客が採用して業務の省力化・機器の延命化というメリットを享受するプロセスを通じて、「お客様も喜び、我々も喜ぶ」という成功体験を得ます。
『商売(ビジネス)を通して お客様と喜びを』という経営理念は、このような原体験から育まれたのです。